子どもの気持ちに寄り添った読書指導

2014年09月16日

上の息子は『ドラえもん』が大好きで、いつの間にかてんとう虫コミックスの全巻を揃えていました。私が子どもの頃は、藤子・F・不二雄さんが『ドラえもん』をコロコロコミックなどに連載をしている真っ最中でした。私も結構その単行本を買い揃えていましたが、最後の方は読んだことがなかったので、今になってたまに子どもの本棚から借りて読ませてもらっています。

この歳になって『ドラえもん』を見てみると、子どものものの感じ方が実によく表現されていることに気づかされます。第32巻の「本はおいしくよもう」というお話に、次のような場面が出てきます。

これを見て、なんだか自分の子ども時代を思い出してしまいました。

私の両親は、結構な量の本を私のために買い与えてくれたものでした。しかし、それらの本を私はほとんど開くことがありませんでした。本棚にずらりと並んだ本の列から何となく取り出したエルショフの『せむしの仔馬』の表紙の絵--疾走する仔馬にロシア風の赤いシャツを着た少年がまたがっている--をぼんやり眺め、ため息をついて結局また本棚に戻したことをありありと思い出しました。

大人に買い与えられた、有難そうなどこか勿体ぶった本。読んだほうがいいのかなぁ、読まなきゃいけないのかなぁ、などとあれこれ悩みながら、どうも気が進まない。こんな子どもの気持ちが、コミカルにそして的確に表現されていると思います。

ちなみにこの「本はおいしくよもう」の中で、のび太のパパは自分の買い与えた本を息子が読もうとしないことで大いに怒るのですが、へそくりの隠し場所に困り、「安全な場所」として、お金を自分がのび太に買い与えた本に挟み、本棚にしまいます。いや、ここに描かれている、「教育」の名を借りた大人のご都合主義に対する痛烈な皮肉には、思わずはっとさせられます。

「子どものため」と称し、あれこれ思いつきで子どもにやらせようとして、思い通りにいかないとかんしゃくを起こす。また時には子どもの未熟さを利用しようとさえする大人。そんな人間は子どもにとってはただ単にウザい存在でしかなくなり、その言葉が子どもの心に響くことがないのは当然のことでありましょう。

私の場合は、高校を卒業して浪人時代に本と呼べるものを読むようになしました。これは、経営コンサルタントに「月10冊は本を読みなさい」と言われたからなどではなく、私の心が、生きていくために漱石やドストエフスキーを欲したからでした。それはそれでよかったと思っていて、小学生くらいのお子さんが、今、本を読まないということにお悩みの方がいらっしゃるとしたら、それは将来心が必要とするときに読むようになりますよと、申し上げたいと思います。

とはいえ、子ども時代に子どもが読むべき本を読んでおいたほうがよいということも確かです。上のようなわけで、私は子どもがよく読むという名作の類に知らないものがたくさんあり、それが結構コンプレックスだったりします。人の本で、子ども時代にマーク・トウェインに夢中になったなんて話を読んでは、自分はこういうのをちゃんと読んでこなかったなどと、うじうじ思い悩むことしばしばです。

私の場合、子育てを通して、自分が読んでこなかった子どもが読むべき本を読んでいます。しかし、今の自分が読むと、どうしてもそれらの本をメタの立場から見てしまいます。つまり、ああ、これはこういうことを言おうとしているんだなとか、作者の意図などを見透かして読んでしまうわけです。

本当はこんなことを何も考えずに、ただただ話に引き込まれ、本に書かれたことにある意味振り回され、驚かされながら読むという経験がしたかったなと思うことがあります。そのためには、やはり子ども時代に読むしかなかったわけです。そういう経験を子ども時代にたくさんして、成長してから文芸学を学び、ああ、あの時読んだ本はそういうことだったのかと気づくような経験を、できることならたくさんしてみたかったと思わないこともありません。

そういうわけで、大人になってからは取り返すことのできない、子ども時代にしかできない読書体験は確かに存在します。だから、子どもにたくさん本を読ませたいという考えは、完全に正しいのですが、しかし、本を読むことに何となく気が進まない、といった子どものために、その気持ちに寄り添った読書指導が必要だということになります。

ドラえもんの件のお話の中では、「本の味の素」という、どんな本でも面白く読めるようになるという道具が出てきます。さすがにそこまで都合のよいものはありませんが、国語道場がご提供する「ことばの学校」読書指導システムは、それに近いものがあると思います。

「ことばの学校」は、200冊の本の中から、子どもの国語力にぴったりあった本を選択し、朗読音声を聞きながら本を読み進めさせるシステムです。

朗読音声を聞きながら本を読ませるというのは単純なようですが、非常に有効な方法です。文字だけから何が書かれているのかを読み取るという作業は子どもにとって実は結構負荷の大きい作業です。そこで、言葉のまとまりが分かりやすい、きれいな抑揚のある朗読音声を聞くことで、読書経験の浅い子どもたちにも、読んでいる文章の意味が非常に分かりやすくなります。

読んでいるものの意味が分かりやすくなるということは、何となく読むことをためらってしまう子どもたちにとって、読書に対する心理障壁を大いに下げることに繋がっています。国語道場では、ほぼすべての受講生が、「ことばの学校」の読書指導を楽しいとお答えになっています。読書が嫌いとまで言っていたお子さんが、数ヶ月で数十冊の本を読破したり、ご家庭や学校でも自分から本を読むようになったりしています。

道場で受験する実力テストの国語の点数が、今年の4月から8月の4ヶ月で20点以上もアップするお子さんや、半年で語彙力が10,000語以上向上したお子さんなど、読書経験に加え、国語力向上に繋がっている例も枚挙に暇がありません。

「ことばの学校」読書指導システムは、なんと言っても子ども時代の自分に受講させてやりたかったなと思います。それくらいすばらしいものです。