本当に子どもの学力を下げるもの

2014年05月12日

 国語道場塾長の私も中学生と小学生の父親なので、子どもをどうやって勉強に向かわせるかということには、日々頭を悩まされております。

 さて最近、独立行政法人経済産業研究所のサイトに次のようなレポートが掲載されているのを知りました。

「子どもはテレビやゲームの時間を勉強時間とトレードするのか-小学校低学年の子どもの学習時間の決定要因-」

その中で、「テレビやゲームは学習時間を短縮させる因果的効果を持ちますが、その効果は、ほぼ無視できるほど小さいことがわかりました。1時間の追加的なテレビ視聴やゲーム使用による学習時間の短縮効果は男子で1.86分、女子で2.70分にすぎません。仮にテレビやゲームを捨てるなどして、それらに費やす時間を制限しても、それだけでは学習時間を延ばす効果はないといえます」と述べられていることに大変興味を惹かれました。

 子どもが、今より1時間余分にテレビを見たりゲームをしたりしたとしても、それによって短くなる勉強時間はせいぜい2分程度。そこから、テレビやゲームを禁止したところで、子どもの学習時間はそれほど伸びるわけではないというのです。

 私にも思い当ることが確かにあります。国語道場で私とともに生徒の指導に当たっているスタッフは、千葉大学など一流の大学や大学院に所属しているのですが、彼らは例外なくゲーマーといってよいです。このことから、私はかねてゲームをやるから成績が悪いとか、ゲームを禁止すれば子供が勉強をするようになるといった考え方について懐疑的だったのですが、上のレポートはそうした私の実感を実証しているように思います。

 こうしたことを踏まえて、私がこれまで多くの子どもたちの学習指導をしてきた中で、成績を劇的に下げる効果があるものを厳密に挙げていくと、次の3つになります。

①ソーシャルゲーム

②スマホなどを机に置く

③自室のテレビ

①の「ソーシャルゲーム」とは、DSとかPSPのゲームではなく、パソコンを使いインターネット上に複数のプレイヤーが同時にプレイするロールプレイングゲームなどのことです。過去、これにはまったお子さんは、驚異的に成績が下がりました。課金制度や見ず知らずの人との交流ということで、学習時間が減ること以外の問題も大きすぎます。

②は、特に女子です。時間的には長く勉強しているようだけれども、一向に成績が良くならない、悪くなる一方だ、というお子さんについてよくよく事情を調べてみると、このケースが多い。勉強といいながら、机の横にスマホを置き、LINEアプリを使っています。友だちからメッセージが届くたびにそれを確認して返信している。そのうち早く返信が来ないかそわそわし始めるという始末。これでは勉強とはいえません。

③の自室のテレビは、昭和時代から続く子どもの成績を確実に下げる方法です。IT機器の発達と普及であまり目立たなくなってきていますが、依然破壊力は抜群。子どもの部屋にテレビを置くことは、子どもの学力を下げるための投資をしているのも同然と考えて欲しいです。

 逆に、この3つを除けば、ゲーム機もスマホもテレビも、それのためにすべての子どもの成績が必ず下がるということにはなっていないように思います。上述のレポートでは、子どもの学習時間との相関性が高いのは、親の関与だと記されています。テレビやゲームを禁止することよりも、親が子供の勉強に積極的に関わることのほうが、はるかにその時間を延ばすことに効果があるということです。

 興味深いのは、父親が、子どもに勉強をするように言うことはそれなりに効果があるのに、母親がそうすることはほとんど効果がないばかりかマイナスの場合もありうることや、父親の関わり方として最も効果が高いのは、子どもの勉強を見ることであるのに対し、母親のそれは時間を決めて守らせることであるなど、親の関わり方にも父親と母親とで向き不向きがあるといえるところです。

 また、親が子供に対し共感的なしつけを行うことが、子どもの学力を向上させることと深くかかわっていることが分かっています。これについてはまた別の機会に述べたいと思いますが、とりあえず今回の話題と関連して、一点だけ付け加えておきます。それは、ゲーム機やスマホを買い与えることになっても、それを親子で様々な問題を考え話し合う機会にしてほしいということです。

 ソーシャルゲームを子どもはなぜやるべきではないのか、メールやLINEのメッセージに即レスしなければならないなんていう「ルール」はおかしいとか、いろいろな意見をぶつけ合ってみましょう。同じように精密電子機器を買い与えるのでも、そのあり方について親子で話し合うことがあれば、様々なことについて自分の問題として考える習慣を子どもに与えるきっかけになるでしょう。本当に子どもの学力を失わせるもの--それは、あらゆる事柄について関心が薄いために感受性が乏しく常識的な知識に欠け、その結果何でもかんでも面倒なお勉強をしなければ学ぶことが出来ないと思い込んで、学ぶこと=面倒でつまらないことと、何の疑問もなく感じるようになっている心なのです。