2015年06月12日 21:58

国語の「勉強」は1日もかからない

 私が尊敬する、元代ゼミ英語講師の鬼塚幹彦先生は、授業中しばしば「英語の勉強は1日で終わる」とおっしゃっていましたね。

 1日に起こるすべてのことを英語で言えるようになれば、英語の学習は必要なくなるということのようです。

 まあ、実際1日で英語の勉強が終わるわけはないんですが^_^;

 それにならった言い方をすれば、国語の「勉強」こそ1日も必要ないと言えると思います。

 私はよく、国語という教科は習慣の教科ということを申します。

 塾で国語を習う。その名も「国語道場」で国語を習うなどというと、さぞスペシャルなテクニックを教えてもらえるんじゃないかと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、言っておきますが国語の読解のスペシャルテクニックなんか存在しませんからね。『カンフー・パンダ』のお父さんが作るラーメンの、「秘密のスープ」並みにそんなものはないです。

 前期の中間テストが近いので、試験範囲になっている問題をここのところみんなで取り組んでいるんですが、その中で、中2の国語ですが、主人公の大好きなおじさんが、これまで居候として一緒に住んでいたのに、世界遍歴の旅に出るため家を去って行ったというエピソードがあります。おじさんが去った後、がらんどうになった彼が寝泊まりしていた部屋に主人公がたたずむという場面があります。

 子どもたちに聞いてみると、その場面の「絵」を、みんな想像していないんですよね。部屋の中はどんな感じだとか、時間は何時頃で日の光はどんなふうに部屋に差し込んでいるかとか、主人公はどの辺から部屋を見ているかとか・・・。何を聞いても「はぁ」、「さぁ」みたいな反応。

 なんというか、みんな「国語」というものを勘違いしていませんかね。なんだか「国語」のテストや問題集の問題の答えを出すことにばっかり頭がいっていて、書かれていることを「読む」ということがどういうことか、根本的に分かっていないんですよ。

 「読む」ということは、書かれていることに積極的にかかわっていくことなんですよ。小説だったら、ちょうど自分が映画監督にでもなった感覚で、周りの風景、登場人物たちの立ち位置、表情、声の感じとかいったことを、自分の頭の中で再構成していくようなことを「読む」というんですよ。

 文章に対して、そこに書かれていることを自分の頭の中で再構成するような、積極的なかかわりという意味での「読む」習慣ができれば、その時には国語の「勉強」は必要なくなることになります。その意味で、国語の「勉強」は、今この瞬間にも終えることができます。

 もちろん、そのあとには「読む」という習慣を身につけた豊かな人生が続いていくことになります。

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