そんなんで偏差値が上がると思ってるのかね?

2021年10月17日

今日(10月17日)、国語道場の中3受験生たちは進学研究会の県立そっくりもぎを受験しました。

そっくりもぎの当日、午後3時集合で今日解いたばかりの模試の全問解き直しをやらせます。これはもうかれこれ何年も国語道場ではずっと続けていることです。

模試の解き直しは、まともに受験勉強をしたことのある人であれば、やって当たり前のことかと思います。私自身、大学受験の時に実践して、その効果を実感している者です。

しかしながら、まだ未熟な中学生のこと。模試のあと、放っておいたら、見直し学習などしていないというのが多数ではないでしょうか。1週間して模試の成績が返ってきて、「ああ、またD判定だった」とか、そんな程度のことを確認して終了というのが関の山でしょう。実際私も中学の時はそうでした(^^;

国語道場はときにおせっかいなところもある塾ですから、こういう効果のある学習法については、半ば強制的にシステムに組み込んでやらせおります。

それで受験生を呼び出して解き直しをやらせればそれでOKかというと、そうは問屋が卸しません。

解き直しが始まって1時間も経つか経たないかというところで、

「先生、解き直し終わりました」

という者が出てくる。

「おぅ、ずいぶん早いな。ホントに全問解き直したの?」

「はい。全部終わりました。」

「あっそう。じゃぁ、数学の大問4の図形の最終問題、答えが12分の5になるそうだけど、どうしてそうなるのか説明してみて。」

「えっ、あっ、いや、説明とかはできないです。」

「そんなんで、本当に全問解き直したとか思ってるワケ?」

といったようなやり取りが、毎年シーズンの最初には見られます。

実に、勉強をするということが、自分の知的能力を高めることだという当たり前のことも、子どもは往々にして分かっていないものです。だから、ひどいのになると、テストの見直しと称して、自分の間違えた答えのところに模範解答の正解を赤で書き写すだけなんてことをやって得々としていたりしてしまうのです。

こういうことは、まともにものを考える人には不思議なことに思われるかもしれませんが、勉強などと呼ぶに値しないような勉強風作業をやって、自分は勉強していると思い込んでいる子どもは実に多いものです。自分のやっていることが勉強とは言えない作業なんだという自覚がないものですから、まずそれを分からせるところから始めなければいけないなんてことも多いです。

今日は、特に英語の長文読解問題について、しつこくツッコミを入れてみました。

見直し学習が終わったという生徒に対して、

「それじゃぁ、英語の大問7の(2)に出てくる、"park and ride"ってどういうことか説明してよ。」

なんて聞いてみても、しどろもどろでとても説明になっていない。

これはいかんなと思って、長文の最初から一文一文逐語訳をさせました。案の定、単語の拾い読みで何となく文意を想像しているだけで、各文の文構造や正確な単語の意味は曖昧なまま。こんないい加減な「読み方」を許していたら、数か月後には長文読解問題は完全に宇宙人語になってしまうでしょう。

私が中高生のころは、英語の勉強なんて教科書本文の日本語訳というのが定番でしたが、最近はコミュニケーション重視だとか言って、文章の意味も曖昧なままに学校の授業も進んでしまうことも多いようですね。困ったものです。精読の勉強を続けていけば、自然と正しく読む速さが上がっていくのに、こういう基本的な学習を怠るべきではありません。

「なんとなく」なんていうのは勉強ではありません。快刀乱麻を断つのごとくクリアなものでなければ、読んだとか理解したということにはならないのです。

こんなことも知らないで、ただ「なんとなく」勉強風作業をして、「勉強した」などと思い込んでいる子どものなんと多いことか。そもそも勉強するとはどのように頭を使うことなのかから、教えていかなければなりません。