失敗したくない子どもたち

2022年01月14日

以前の話ですが、中学生の国語の授業で作文を書かせたときのことです。テーマは「1度だけタイムマシンが使えるとしたら、過去に行きたいですか、それとも未来に行きたいですか」というもの。どちらかを選び、その理由を200字で書かせます。その際、非常に興味深いことがありました。

過去に行きたいという生徒と未来に行きたいという生徒の比率はだいたい半々でした。驚いたのは、その理由がほとんど全員同じだったことです!

未来に行きたいと言っている子どもも、過去に行きたいと言う子どもも、その理由が同じ?いったいそれはどういうことでしょうか。

それは、未来に行きたいという作文も過去に戻りたいという作文も、どちらもその理由は「失敗したくない」というものだったということです。

未来に行きたいと答えた子どもたちは、将来失敗したくないから未来の自分を見て現代に戻って備えたいということで、過去に行きたいと書いた子どもたちは、過去にしでかした失敗を帳消しにしたいということだったのです。

添削していて最初は興味深いなと思っていたのですが、次第にこれでいいのかという気分になりました。いや、子どもというのはこういうものかと思いなおしますが、やっぱりこれはいかんだろうというところに思い至りました。

そもそも失敗が「悪い」ことなのかということです。

高名な成功者たちの話に失敗はつきものです。「こういう失敗があって、それを踏まえて頑張っていたらこういう結果にたどり着いた」とか、「成功よりも失敗ばかりですよ」といった感じで、将来の失敗を恐れずチャレンジし、過去の失敗も消し去りたい出来事のようにはとらえていないんじゃないでしょうか。

大人のみなさんにとっては当然のことかとは思いますが、失敗から学ぶことは多いということですよね。

今回の作文から、だから最近の子どもたちはダメだなんていうふうには思っていません。むしろ、偶然多くの子どもたちの正直な気持ちを知ることができて、本当にラッキーでした。国語道場での指導の中で、いかにうまく子どもたちに「失敗」させていくか、そして「失敗」なんて大したことはない、むしろそこからどうしたらいいか考えていけばいいんだということを教えていかなければと感じた出来事でした。

ちなみに、聞かれてもいませんが、私がタイムマシンを一往復だけ使うことができることになったら、過去に行きたいですね。1824年5月7日、当時のオーストリア帝国ヴィーンのケルントナートーア劇場。ベートーヴェンの第9交響曲の世界初演を聞きに行きたいです。

ベートーヴェンは当時すでに聴覚を失っていたため演奏の指揮をすることはできませんでしたが、演奏の指示のために観客を背にして舞台にいたそうです。全曲が終わったとき、なぜかコンサートの失敗を確信し、客席を振り返ることができませんでした。演奏者に促されて振り返ると、観客が総立ちで万雷の拍手を送っていることに初めて気づいたという逸話が残っています。この激アツの場面をこの目で見てみたいですね。